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【中の人不定期コラム】vol.9 こんな時だから「人類最後の日」について考えてみる

コロナウイルスの蔓延による影響で書店さんのイベントは軒並み中止、当サイトも開店休業状態である。書店さん、登壇者の方(著者、パネラーなどの方々)、版元さん、取次さん、そしてなによりもイベントを楽しみに参加申込をしていた皆さん。皆さんがまた集うことができる日が早くやってくるように、そしてそんな情報を私たちも再びお伝えできるようにと祈らずにはいられない。

今は4月7日の昼。どうやら今晩「緊急事態宣言」が発令されるらしい。

他国の出来事、対岸の火事と思っていた騒ぎがいつの間にか海を渡り、気がついた時には、自分の住む街、自分の生活圏に忍び寄っていた驚きと恐怖。「まるで『復活の日』のようだ」と、映画化もされた小松左京さんの傑作SFを思い出した人も多いだろう。未知のウイルス(実は秘密裏に開発された生物兵器)の漏洩によって人類が滅亡の瀬戸際まで追い詰められる…… というストーリーは今の状況で読むとリアルで恐ろしい。

『復活の日』から繋がって、私は1950年代に書かれたイギリスの作家、ネビル・シュートの古典SF『渚にて』を思い出す。『渚にて』は小松左京さんが『復活の日』を書く際のヒントとなった作品だ(ご本人がそう語っている)。

第三次世界大戦が勃発し核攻撃により北半球は壊滅。攻撃を受けずに生き残った南半球(オーストラリア)の人々のもとにも徐々に放射能汚染が忍び寄り滅亡の時が迫る。
ストーリー全編を通じて、ミサイルが飛び交ったり激しい戦闘が行われるような戦争シーンの描写はない。描かれているのは淡々とした普通の人々の普通の生活だ。ただ違うのは、その先に待っているのが「人類最後の日」だということ。

終末に向かう日々、人々は静かにそれまでと変わらない日常を過ごし、家族と、愛する人と最後の時を迎える。そこには大きなパニックも暴動もない。
そんな静かな最後の日々を「リアリティに欠ける」と感じるか、だからこそ「リアリティがある」と感じるか。読む人の人生観・死生観や感性の違いで大きく印象が変わるだろう。

「人類最後の日」が来るなら自分はどんなふうにそれまでの日々を過ごしたいか。

ちなみに人類最後の日、私とカミさんは「今半(老舗のすき焼き店)」のすき焼きを食べる約束をしている(人類最後の日に今半は営業してくれているだろうか)。今半のすき焼きは私たちにとって特別な食事なのだ。

そして前日までに両親に感謝の気持ちを伝えたい。それと疎遠になってしまった今までお世話になった人たち、友人にも気持ちを伝えたい。つまらない諍いで縁が切れてしまった知人にも謝りたい……。

そんなことを考えていたら、心に少し温かいものが広がった。
「人類最後の日」のことを考えていたら、心に浮かんだのは自分が大好きなことや愛する人、大切な人のことだった。

そして気がついた。なにも「人類最後の日」まで、その気持ちを封印しておく必要もない。平穏な日々が戻ったら、真っ先に大好きなことをやり、大切な人に会いに行けばよい。それを楽しみに過ごせば、きっとこの困難な日々も乗りきれるだろう。

(2020.04.07)

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