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【中の人不定期コラム】vol.3 二人のマンガ家さんが高野文子さんの『美しき町』を繰り返し読むという。

私の好きなマンガ家さん二人の対談で「ネームに詰まったときに高野文子さんの『美しき町』という短編を読む」と二人揃って言っていたのでずっと気になっていた。その短編が収められているのが、この『棒がいっぽん』という作品集。『美しき町』はその巻頭に載っている。

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昭和三十年代(と思しき時代)に生きる若い夫婦のショートストーリー。無駄な要素を削ぎ落として削ぎ落として、その結果、広がる世界観というか。小説で言うならば無駄を削ぎ落とした文章と文章の行間に様々なことが込められているのが読み取れるというか。マンガだとひとつひとつのコマのその外側に広がっている景色が見えるというか。

なるほど…… あの二人はネームに詰まるとこれを繰り返し読むのか。

こんなふうに新しい本に出会うのは楽しい。だって、自分が好きな二人のマンガ家さんが「ネームに詰まるとこれを読む」と揃って言うのだ。もうそれだけで読んでみたくなるじゃないですか。仮にその本が読んでみたら自分にとってはそれほどマッチしていなかったとしても、このことを知り、本を実際に手にするまでのプロセスだけでも十分に楽しい。

高野文子さんの作品自体も素晴らしいのだけど、二人のマンガ家さんの思考を想像しながら読むと別の面白さがある。煮詰まった二人のマンガ家さんに、この作品が示唆するものはなにか。私にも感じ取れる気がするけれど、うまく言語化できない。このシンプルなストーリーの中に人の営みのすべてがある。そんな読後感だった。コマ割り、キャラの視点移動も、シンプル。しかし何度読み返してみても、そのたびに深みを増していくような奥深さがある。

高野文子さんといえば、私にとってはやっぱり『るきさん』なのだけれど、著者ご本人はあまりこの作品には思い入れがないようなことがwikipediaに書かれていた(そうなのか)。

バブル絶頂期(1988年から1992年にかけて「Hanako」に連載)にマイペースというか、浮き世離れしたキャラクターとして描かれたるきさん。2016年の今、るきさんがもう一度現れたらどうだろうか。しかも極めて現実的に描かれたとしたら……

そんな想像をしたら、いけだたかしさんの『34歳無職さん』にイメージが結びついた(るきさんは無職じゃないけど)。『34歳無職さん』は2010年代に現れた超現実的な『るきさん』なのか。

いけだたかしさんは最初に書いた『美しき町』を繰り返し読んでいるという二人のマンガ家さんのひとりである。

そうか、そうつながるのか。

そして彼と対談しているもうひとりのマンガ家さんは志村貴子さんなのだ。

 

『棒が一本』(マガジンハウス)
「るきさん」のあとに『Hanako』に掲載されていた「東京コロボックル」も収録されています。全6編の短編集。
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『るきさん』(筑摩書房)
Hanako連載に加筆された増補新版。文庫版もあり。『るきさん』は全編に亘って性的なニュアンスが注意深く省かれている。でも、るきさんが誰かを好きになってどぎまぎした表情をするのを見てみたい(そんな二次創作もあるのかも)。そして男性と一夜をともにして、夜中に目が覚めたるきさんが男性を起こさないようにそっと布団(ベッドじゃなくて)を抜け出して、窓際に座ってひとりぼんやりと月を眺めるシーンとか。ありそうでしょ?
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『34歳無職さん』(メディアファクトリー)
勤めていた会社が倒産したのをきっかけに(転職先として声をかけてくれる人たちがいるにも関わらず)色々と思うことあって「一年間、何もせずにいよう」と決めた三十四歳バツイチの女性。彼女が暮らす六畳一間のアパートとその周辺で描かれる無職ライフがリアル。別れた夫のもとで暮らす娘との関係も味わい深い。いけだたかしさんの長編二作目、全8巻。彼女は2010年代に舞い降りた「るきさん」なのか。
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『ささめきこと』(メディアファクトリー)
いけだたかしさんの長編一作目、全9巻。淡い「百合」ストーリー。男性が描く百合ストーリーは、女性マンガ家さんが描くものと明らかに違う(あたりまえだけど)。7巻の巻末に、いけだたかしさんと志村貴子さんの対談が載っている。
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志村貴子さんのことは、また別の機会に書こう。

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